My Story

保健師のわたしが、

​なぜ、性に特化したしごとをはじめたのか?

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心身の悩みを「性」から紐解き解決!

女性として生きる悦びを享受する

セクシャルウェルネス(性の健康)・カウンセラー

Keiko

Profile

 

 

1974年生まれ。島根県出身。川崎医療短期大学、岡山県公衆衛生看護学校(現 岡山県立大学)を卒業。現役 保健師。妊娠から出産、思春期から老年期まで全てのライフステージの健康に関わり、あらゆる個の問題解決から地域づくりへ、民間の健診機関から行政、企業での健康管理と幅広く活動。保健指導者数は、20年で延べ5000名を超える。健康と予防医学の大切さを伝え関わっていく中で、女性の心身の問題の根っこには、母子関係や、歴史的な背景の中で抑圧されてきた性の否定などが問題だと確信する。

自身も3児の子育て、パートナーとの問題を抱え、ストレスでホルモンバランスを崩し膣トラブル、30代で閉経後の女性に多く診断される萎縮性膣炎を経験。自分への癒しを求めながら、自然食や精神世界、魂の世界に出会い、潜在意識から抱えている悩みや問題をクリアにするヒーリングを学び、自分を取り戻す。

2019年 “性” を切り口に “自分を愛する” をテーマに活動する著者の想いに共感し、初主催で100人規模のセミナーを開催し大盛況を収める。

そこから導かれるようにタントリックヒーリングに出会う。”オーガズム”が女性の美と健康、母性の開花に繋がる鍵であると自分の人生をかけて探究が始まり、自身も“性”を通じて自分を愛することの大切さを伝えるセラピストとして活動を開始。

2021年からこれまでの自身の学びを融合させた、「セクシャリティ覚醒メソッド」を開発。ヒーリング、カウンセリングによって潜在意識へアクセスし、"本能の意識"の目覚めと、感情の解放、子宮エネルギーの活性化などのセッションを行う。女性性を高め感度を上げたい女性、性のブロックを外したい女性、自分に自信が無い女性などに “性”を通じて悩みの原因を紐解き、内側から輝く色氣と愛らしさを放つ女性に導く。

「自分を労わって愛してあげようと心から思えるようになった」「パートナーとのセックスが良くなった」「自己否定が無くなって性のブロックが外れた」など喜びの声が届く。

「自由に人生を謳歌せよ!」という理念のもと、女性の孤独を解放し、自分の美しさや女神性を開花させることに力を注いでいる。

保健師の経験を生かして、予防医学の視点からの性と健康、美に繋がる美腸ライフや潤う美膣ケアなども提案。

昨今は、性、セックス、パートナーシップの悩みなど、誰にも言えない悩みについて寄り添う“オトナの性”のカウンセリング「けいこの保健室」を開設。正しい性知識の教育と普及啓発、セックスの実践講座など男性、女性に向けた学びの場の提供にも力を注いでいる。

看護師・保健師・養護教諭第一種免許・

第一種衛生管理者

シータヒーリング

(基礎、応用、アナトミークラス終了)

​タントリックヒーラー

カウンセラー

ボディエステセラピスト

#幼 少 期

Image by Artur Aldyrkhanov

私は山に囲まれた大自然豊かな山間の小さな町で両親とも公務員の三姉妹の三女として産まれました。

当時人口3,000人ほどの小さな町で、母は『先生』と呼ばれ教育に携わる仕事をしており世間体を大事にする両親のもとで育ちました。三姉妹の末っ子として、父親に溺愛され、母は仕事も家事も完璧にこなす人でした。

共働きの兼業農家で両親は休みなく朝から晩まで働き、母はその上、奇麗好きでいくら忙しくても毎日掃除機をした上に家中の床の拭き掃除を欠かさないような人でした。

鮮明に覚えているのは、母に甘えたくておんぶしてもらおうとしても、いつも振り払われたこと。もっと母に甘えたかった記憶があります。

性格は、内弁慶で家ではおっとり、口数も少なく、優柔不断で何を聞かれても「どっちでも・・」と自分では即断できない性格でした。学校では、クラス委員や生徒会などを任される優等生で一見しっかり者に見えていたようです。

好きな人ができると、目を合わせるのも恥ずかしくて何もしゃべることができないほどシャイでした。

#初めての挫折から保健師の道へ

Image by Aliyah Jamous

小学時代から陸上で記録を残し、高校でスカウトされたこともあり、一念発起して陸上に専念しようと思い高校を選びました。そこで初めての挫折感と屈辱感、孤独感を味わうこととなりました。誰一人知り合いがいない土地での高校生活と寮生活がスタートしました。田舎の小さな学校からいきなり一学年10クラスある高校に通うことになり気後れと不安と緊張の連続でした。

人見知りで、生真面目、勉強も部活も手抜きをすることを知らない性格で夜遅くまで勉強も欠かさず、高校時代は部活と勉強の思いでしかないくらいでした。

 小中では何も考えなくても記録が伸びていましたが、高校時代は思うように記録が伸びないことや上級生からのシカト、気を抜く瞬間がない寮生活、なんでも一人で我慢し自分の本音を言えない性格で十二指腸潰瘍になってしまいました。

​そんな寂しい時間を埋めてくれたのが、学校の保健室でした。母と同年代の保健室の先生は、私にとってほっと安らげる存在でした。特に用事もないのにふらっと立ち寄っていましたが、いつも温かく迎えてくれました。そんな経験から養護教諭を目指すようなりました。

養護教諭を目指し看護学校に進み、さらに1年進学しました。小学校で養護教諭実習に行きましたが、当時学校という空間が私にとってはとても窮屈に感じ、その後保健師として行った保健所実習がとても自由度が高く楽しく感じ保健師を目指すこととなりました。

最初2年間は民間の健診機関で主に健診の後の保健指導がメインの仕事でした。その後、やはり行政での経験が積みたいと思い、公務員試験を受け行政保健師として働きました。

行政保健師として、公衆衛生、予防医学の立場から多くの方と関わることができました。行政保健師の仕事は多岐に渡り妊娠から出産、思春期、成人期、老年期と全てのライフステージの方々の健康に関わっていました。母子保健、思春期保健、精神保健、成人保健、感染症対策、難病対策、虐待問題など個の問題解決から地域づくりへと幅広い知識と技量が必要とされ最初の数年間は毎日が目まぐるしい日々でした。

その後、企業の保健師として産業保健の分野でも働くこととなりました。

保健師として働く中で”健康”と”予防医学”の大切さを痛感すると同時に、心身の悩みや問題の根っこに、母子関係や愛着形成の問題、性への否定などの問題がみえてきました。

#結婚生活と一人で抱え込んだ子育て

Image by Liv Bruce

自分の本音が言えない性格は結婚生活がスタートしても変わらずというよりも、自分がそのことに全く気づいていませんでした。

​保健師としてフルタイムで働きながらの子育ては、毎日が時間との戦いで子育てを楽しむ余裕などありませんでした。

保健師として幼少期の母子関係の絆の大切さや子育ての知識があったが故に何もかも一人で背負いこんでしまっていました。

今思えばもっと育児や家事を夫に頼るべきでした。

出産して母になり、自分がしっかりしなきゃ!と甘えること、頼ることをせず頑張りすぎる毎日でした。母が私にとっての基準だったので、母のように完璧に育児も家事も仕事もこなして当たり前と思っていました。でも、母のようにうまくこなせず、どれも中途半端で何一つ満足いかず、散らかった家と時間に追われる日々、子どもは思うように寝てくれず自分の睡眠時間を削るしかありませんでした。

2人目出産後からは専業主婦になり、『専業主婦なのに完璧にできない自分』をいつも責めていたように思います。

夫に対しても母親のようにかいがいしく身の回りの世話をしては口うるさく意見するようになり、結婚前のように夫に甘えることも、スキンシップを求めることもすっかり忘れてしまっていました。

私の落ち度を指摘される隙を作らないように、負けないように常に戦っていたのかもしれません。夫に対して『私はこれだけ頑張ってるんだから、あなたももっと頑張りなさいよ!』と暗黙のプレッシャーを与えていたように思います。

そして『母親』『妻』『働く自分』『専業主婦だから』『○○君のママ』という名札を1日中胸につけたまま、その役割をこなすことに囚われてしまっていました。その時の私には役割から解放されてひとりの『人間』としての時間を愉しむ、『何者でもないひとりの女性』として大切に愛される時間が必要でした。しかし、子どもを預けられないと思い込み、お金の心配など自分にその時間を与えることさえ許可できていませんでした。

#産後の体調不良と夫婦関係の変化

Image by Jonathan Cosens Photography

子どもは可愛くて、初めて『愛しい』『守りたい』という気持ちが芽生え、『自分以上に大切な存在』になっていきました。私の関心は100%子どもに集中し、いつの間にか夫へは煩わしささえ感じるようになっていました。

3人目出産後は長期授乳や睡眠不足、ストレスとホルモンバランスの変化で膣トラブルを繰り返し、心身ともに体調不良で皮膚の乾燥と炎症でお肌はボロボロ、いつもイライラして心も荒んでいました。

「なんで、私だけこんなに不幸なんだろう・・・」

「 こんなはずじゃなかった・・・」

いま思えば、心が満たされない不足感の原因の一つに、食生活の乱れと心身の疲労、明らかな栄養不足がありました。

そして次第に夫を拒むようになっていきました。

何年もの些細なモヤモヤの蓄積に気づいた時にはすでに大きな歪となり、お互いに感情的なぶつかり合いしかできない関係になっていました。

『言わなくてもわかるでしょ!理解してよ!』という勝手な思い込みと気持ちの余裕のなさ、明らかなコミュニケーション不足でした。お互いに小さなことでも伝えあうことから避けてきた結果でした。

#生涯女性としての悦びを享受する生き方

女性の悦びを体験することを半ばあきらめかけていた40歳目前のことでした。

『このまま人生終わりたくない!もっと女性としての悦びを体験したい!』

という『本能の声』に強く突き動かされ、私の『性』への探求が始まりました。

その声は次第に大きくなり、これまでに経験したことのないくらいに主張し続け、もうその声に従うしかありませんでした。

100%本能の声を信頼し、行動したことは私に大きな悦びと安心感と生きる強さを与えてくれました。

たとえそれが、今までの私にとって『ダメなこと』であったとしても、それをするとこが、1ミリの後悔もなく心が満たされ、自分への信頼は増していきました。

女性が常識や世間体に囚われず、自分の中から湧き上がる本能の声を素直に受け止め、許可し受け入れることで人生が好転するのではないかと確信しました。

人生の主導権を自分自身が持つと決め実行した時、初めて『こころの自由』を得られる!そう強く実感しています。

今、私は自分の気持ちに従って離婚し、人生のリスタートが始まったばかりです。離婚前は経済的な不安や恐れに押しつぶされそうになり、気持ちの踏ん切りがつかず何年も悩みました。今は、不思議と不安がなくなり本当に安らかな氣持ちで日々過ごすことができています。そして、日々の選択の中で自分のこころと身体が悦ぶ感覚を優先して生きていくことを決意しました。

本能の導きへの信頼感は自分への信頼感となり、生涯悦びを享受しながらの人生がスタートするのだとワクワクしています。

私自身が『性』と向き合うことで心身の悩みが解決し、生きる悦びや女性本来の強さとしなやかさを取り戻した経験を、悩み、立ち止まっている女性たちに伝えていきたいと思っています。

   Ena Makana 代表 Keiko

 
 
 
 
 
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